渓のライフマネジメント日記

日々の活動と雑感をゆるゆると記録するところです。みんなHAPPYになっちゃえ。

そうだ旅行に行こう

 旅行に行くと、世界の広がりと、価値観の多様性、自身の成長を実感し、一緒に旅行した相手と記憶を共有でき、絆を深めることができるのです。

 たから、みんな、旅行に行こう!というのが今回の結論です。

 

 

 

 1ヶ月ほど前だろうか、GO to トラベルキャンペーンが開始して間もなく、食糧廃棄おじさんが大炎上した。

 

 

 僕は別にリプライ攻撃に参加したりはしなかった。全員で攻撃するのはちょっと下品だと思ったし、でも件のツイートを見て思った内容は、多くのリプライ同様、旅館側のサービスは批判するほどおかしくない御膳のレベルであったし、トータルで見たサービスも低いレベルではなかったというところだ。 (この炎上事件は、そもそものツイートだけではなく、その後の対応ミスも相まって大きく話題になったところはあるが、その点は割愛する。)

 炎上おじさんには悪いが、日本全国の田舎の観光地を愛する身として今回は多大に引用させてもらう。

 

 

 

 この御膳の本当の楽しみ、面白さというのは、例えば観光地近隣が産地となっている食材であり、地場産業による工芸品である器や添え物、それらを加工する伝統的技術であり、旅行の体験の演出の一つなのだ。

 そして、この御膳が用意される会食というのは、都会の喧騒から離れたところで、楽しく会話をしながら、ゆっくりと時の流れを楽しむような状況を想定しているのだろう。

 少しだけフォローすると、炎上おじさんの、高齢の方に対する食事のボリュームという視点での評価はあながち間違ってはいないとも思う。また、余りにも多い場合は、事前に残り物を預かり調理し直して朝食に添えてくれる旅館もあるにはあるだろう。

 そもそも、この御膳に対して食事の量で評価をすることが適切ではないのだ。仮に、丁度良い分量なだったとき、「ちょうど良い量だった」と感想を呟いたとしたら、それが如何に的外れであるかがわかるだろう。

 将棋の藤井聡太7段の対局の本質が全く理解できなくて、勝負めしがどうとか、ファッションがどうとか言ってるのと同じなのだ。

 

 

 文化の価値を理解するには、教養が必要なのだ。

 

 

 登山をする際に、植生に対しての教養が有れば多くの植物に目が止まり、より興味も深まるだろう。

 

 

 教養というのは、同じような体験をしたときに、得られる情報の量や質を高めてくれるのだ。

 

 

 それだけに、評価の軸が少ないと貧しくなってしまうのだ。

 

 

 貧困というのは単に金銭的な問題で起こる不十分だけではなく、教養を失うことによってもたらされ、不幸な体験を増やしてしまうことだ。

 

 

 

 旅行というのは、単に体が、その土地に移動して戻ってくるのではない。貴重な体験を通じ、文化に触れ、新たな知見を得て、成長するためのものなのだ。

 

 だから、みんな、旅行に行こう✈️